「みんな幸せになればいいのに」



そう拓は笑って言った。

「思っていもいないことを言うもんじゃない」

私はその頭を軽く小突き、先を歩いた。
雪雲が重くのしかかっている冬の空の下、拓はその空を見ていた。

「思ってるよ。僕は常に」

突っ立ったまま動かない拓に、私は立ち止まってため息をついた。
先は長い。ここで立ち止まられても困るだけだ。

「いいから、行くぞ」
「みんな幸せになれればいいのに」

私の声が聞こえないかのように、彼は続けた。

「みんな幸せになれればいいのに、なんで誰かが不幸になるんだろう。
誰かの祈りが届くと誰かの祈りが届かない。
誰かが幸せになる裏側で誰かが不幸になってる」

灰色の雲からしんしんと降る雪の中、空を見上げる拓の肩や髪にそれは積もっていく。
放っておいたら、いつまでもそうしているのだろう。
私は彼の隣まで戻り、腕を掴んで引いた。
拓は驚いたように私を見た。
なぜ驚く。

「お前の論理はいつも簡単すぎて世界についていけていない」

一気にそういうと、私は拓の腕を掴んだまま歩き出した。
ぼすっぼすっと音を立てるようになった地面を踏みしめながら、木偶と呼んでも差し支えない男の腕を引いてひたすら歩く。

「そうなのかな」
「そうなんだよ」

掴んだ手に力を入れると、今度は黙って歩くようになった。
人は、自分の近くの幸せしか祈れない生き物。
それは今まで生きてきた中で私が感じ取った、私にとっての真理だった。
自分と愛する人、家族、ムラ、国、世界の幸せを祈ったって、
それは自分の考える「愛する人」「家族」「ムラ」「国」「世界」。
全ての人の数だけ世界が存在し、その数だけ人の幸せが祈られている。
矛盾するなと言う方が無理な話だ。

「そうは思わないけどね」

それなのに、拓は折れない。

「僕はみんなが幸せになれる方法を知ってるよ」
「私は神になんか縋らない」
「神様はいなくったっていいよ」


ただみんな ちょっとだけ人のことを知る


「それだけでいいんだ」

そういって拓は、また空を見上げた。
重苦しい冬の空から降ってくる雪。

「空はあんなに重そうなのに、なぜこんなにも白く光るんだろう」

私は今までそんなことを考えたこともなかった。
それでも、

「そういうものなんだ」

その一言で彼の腕を引いてしまうくらいには、私は大人になってしまっているのかもしれない。

















*** 2008.5.6
実に久しぶりにこっちの更新です。
ちょっと前にぐるぐる考えたもの。
みんなが幸せになるのは、むずかしいですね。
本当は簡単なような気がするんだけどな。



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