青くライトアップされた水槽の中で、エンゼルフィッシュの柔らかな尾びれがカーブを描いて翻る。水泡がこぽこぽと音を立て、水草を揺らす。暗い部屋の中ではっきりしているものはそれだけだったので、気付くと俺は横になったままずっとそれを見つめていた。
 めずらしく授業中に居眠りをしてしまったせいか、部活が久しぶりに休みで動かなかったせいか、今日は明かりを消しても全く眠気が起きなかった。明日は朝錬もあるし、最初のうちは何とか眠ろうと羊を数えたり努力をしたのだけれど、睡魔は全くやってこない。ひたすら目を閉じて待っていることができず、どうしようもなくなっていっそ起きていることにしたのだった。
 そろそろ水草を換えたほうがいいかな、と思ったとき、英二が寝返りを打った気配がした。


 英二は今日家に誰もいないというのでうちに泊まりに来て、ついでに家族と一緒に俺の誕生日を祝ってくれた。何でも好き嫌いなくおいしいおいしいと食べる英二に母は嬉しそうに料理を取り分け、妹は大きい友達ができたみたいだと喜んだ。小学2年生の妹にそう言わせる英二も大したものだ。父はこっそりと俺に英二のようなタイプの友人がいることをずっと意外に思っていたと告白した。どういう意味だよと俺は笑った。
 でも、実を言えば自分でも意外に思うことが時々ある。小学校での仲のよかった友達は大人しいタイプが多く、休み時間に机の上で踊ったり友達と殴り合いのケンカをするような元気のいいやつはいなかった。俺自身も、子どもながらに自分とそういうやつらとの間に何か距離のようなものを感じていて、きっと永遠に分かりあえることはないだろうとどこかで思っていた。
 そんなやつらの代表格のような彼とここまで仲良くなるとは思ってもいなかった、というのが本音だ。最初はケンカ腰の付き合いだったけれど、今ではお互い言いたいことを言い合える、気を使うことなくぶつかり合える親友だった。


 首を伸ばして、30センチほど下で布団に寝ている英二を見下ろす。盛大に腹が出ている上にすっかり布団がずれてしまっていて、掛けなおしてやろうとベッドから身を乗りだして手を伸ばした、その瞬間。
「うわあっ!」
 一瞬何が起きたか分からなかった。何かに引っぱられ、気付いたらベッドから転がり落ちた俺の上で英二が馬乗りになって笑っていた。
「なんだよ〜大石。夜這い?」
 急な事故に心臓が跳ね上がったまま、俺は事態を把握して思わず溜め息をついた。
「びっくりした……」
「へっへっへ。ドッキリ大成功〜」
 小声で誇らしげに宣言しVサインを出す英二。こういうとことが多々あるのに、なぜ愛想を尽かさないのか自分でも不思議だ。
「危ないだろ。もし―――」
「お前なら手首捻挫するようなアホしないだろ」
「したらどうするんだ」
「俺が二人分がんばりゃいいかな?」
「……とにかくやめてくれよ……」
「反省しまーす」
 全然反省しないだろう顔でそう言うと、英二はようやく俺の上からどいた。
「それより何?本当に夜這い?」
 猫のような目が暗闇で楽しげに揺れている。俺は、 誰が と苦笑して起き上がった。
「しないよ男相手に……布団掛けなおそうと思って」
「ちぇ〜。こんなにかわいいんだから夜這えよ」
「日本語変だろ。英二も起きてたのか」
「いや〜なんか眠れなくってさ。部活なかったせいかな」
「学校で寝てたからじゃないのか?」
「んなもん毎日だもん。ノーカンだよ」
「毎日寝てるんだ……」
「誰かさんみたいにマジメじゃないもんで」
 英二はごろりと大の字になり、俺を見上げる。俺はベッドに戻るのも面倒だったのでそのまま英二の横であぐらをかいた。車の音が遠くに聞こえて、とても静かだということに気付いた。時計を見ると、11:59というデジタルの数字が青く光っている。
「明日も早いのになぁ」
「いっそ起きてりゃいいんじゃね?」
「寝不足じゃ動けないだろ」
 それもそうだ、と英二は笑った。
 そして唐突に俺を布団に引き倒した。
「っおい!」
「オメデト」
 さっきやめろと言ったばかりなのにとか、今のは本当に危なかったとか、言おうとしたことが一瞬飛んでしまった。
「……は?」
「誕生日」
 俺の上で英二が言い終わるのとほぼ同時にピッと電子音と共に日付が変わった。
「へへへ。大成功〜」
 嬉しそうに笑う英二をあっけに取られて見上げる。
「どういうことだ?」
「よくさ、誕生日になるのと同時におめでとうってメールしたりすんじゃん?最初はそれにしようと思ってたんだけどさ、あんまり普通すぎて面白くないから考えたんだ」
 俺の隣に寝なおして頬杖をつき、楽しそうに説明する。
「そしたら、一番乗りもいいけど逆に一番最後ってのも特別かなーって思って」
「それで、今?」
「そう」
 にっと笑ってどうだった?と俺に尋ねた。
「驚いた」
「なんだよ、嬉しいとかないのかよ」
「嬉しいけどそれよりまずびっくりするだろ」
「ドキドキしたとか」
「そりゃドキドキしてるけどさ」
「そういうんじゃなくて!」
 英二は苛立ったようにそう言うと、枕にあごを乗せて前を睨んだ。俺は英二の言いたいことが分からなくて戸惑った。起き上がろうとしたら前を向いたままの英二に腕をつかまれ、仕方なく横になったまま彼の次の言葉を待った。
「嘘だよ」
 俺の腕をつかんだまま、英二はしばらく黙って何か考えていたみたいだったけれど、諦めたように溜め息をついて話しだした。
「部活がないから眠れなかったんじゃないよ。大石の部屋だからだ」
「俺の部屋だから?」
「そうだよ」
「布団だめだったか?ベッドがよかったら言ってくれればよかったのに」
「そういうことじゃねーよ……」
「じゃあどういう」
「……好きなやつの部屋で二人きりでぐっすり眠れる男がいるかよ!」
 唐突すぎて何を言っているのかわからなかったと言うのが正直なところだ。
 気が付くと英二は寝そべったまま俺を見つめていた。黒い目にデジタル時計の青い光が映っている。
「好きな……誰が?」
「オレが」
「誰を?」
「お前を」
「なんで?」
「知らねーよそんなこと!気が付いたら好きだったんだから」
 ガシガシと頭をかきむしると英二は枕につっぷした。
「多分お前がオレのことちゃんと心配してくれたりするから勘違いしちゃったんじゃねぇの?あとなんかお前たまにオレのこと好きだとか言うし?もしかしてキセキの両思い?っつー勘違い、みたいな」
「言ったか?好きだなんて」
「言ったよ!……それよりもっと、何かあんだろ!ゴメンとか」
「ごめんって」
「こういうのを断るときは謝るもんなの。お前は何にも悪くないけど」
 篭ってよく聞こえなかったが、それに続けて  本当悪いけど  と言ったようだった。
 俺はどうすればいいか分からなくなってしまった。俺は男で、英二ももちろん男で、ダブルスパートナーで、それ以上でもそれ以下でもなかった。お前が好きだ、と言ったこともあったかもしれないけれど、それは人間的にという意味だったんだろう。だいたい記憶にないのだから、おそらくその場の空気とかノリとかで。
 それより、そもそもこいつは本気で言っているのだろうか?またいつもの冗談なんじゃないのか?でもさっきの俺を見つめていた目は真剣だった、ように思う。でも男が男になんて、普通はありえない話で……
「……ごめん」
 何が何だか分からなくなりながら、俺はとりあえず英二に謝った。
 こぽこぽという水泡の音が、何も言わない俺たちの間を満たした。
























2006/5/1

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